今日ののりべぇ 10月27日 土曜日 (旧暦9月19日)

これまでの投稿

のりべぇの土曜日の雑感 〜 「のりべぇは電脳美女に囲まれた夢を見るか?」

(今日の話はとーっても、長いです)

まずは、タイトルの意味からご説明を

今日のタイトルはフィリップ・K・ディック氏のSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?Do Androids Dream of Electric Sheep?)」(1968年)のパクリです(笑)。タイトルや中身をご存じない方でも、「○○は△△の夢を見るか?」という類のタイトルをご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。小説の中での主人公のセリフがそのままタイトルになっており、特徴があることから、流用されることが多いようです。また、この小説を基にした映画「ブレードランナー」(1982年)をご覧になった方もいらっしゃるかと思います(ただし、映画のシナリオは、原作とは大幅にストーリーから登場人物などに至るまで異なっています)。

さて、本題です

随分と欲望丸出しのようなタイトルですが、タイトルは目を引くくらいがちょうどいいので(爆)。さて、このブログでは度々、IT関連のネタ(というのは少々おこがましいほど稚拙なものばかりですが)を書かせていただいておりますが、日々経済ニュースなどで話題になっておりますのが、このIT関連ですね。AI(人工知能)であるとか、世の中の大量な情報から新たな答えを導き出すと言われるビッグデータ、あるいはAIが人間を追い越し、既存の仕事が奪われてしまうのではないか、という話の際に出てくるシンギュラリティ(技術的特異点)など、今まで聞いたこともない言葉が頻発しています。そうした言葉に触れる機会がない方でも、毎年のように発売されるスマートフォンのニューモデルに買い替えを促されたり、LINEやフェイスブックなどのSNS(ソーシャルネットワークサービス)を積極的に活用したりと、日々の暮らしにIT、もしくはICT(情報通信技術、information and communication technology)は浸透しております。しかもその技術が浸透したのは、ここ10年くらいの話。アップル社のiPhoneが日本で初めて発売されたのが実は2008年7月のことです。しかし、あっという間にスマートフォンが広まりました。今や、パソコンは持っていないけどスマホは持っている、という方やご家庭も多いかもしれません。

とまあ、難しい話から入ってしまいましたが、ここまでICTが生活に浸透してしまいますと、流石に避けて通れませんよね。この話題。特に不得手の方にとっては耳の痛い話かもしれませんが、ここはグッとこらえて、読み進めていただければ幸いです。

ショートストーリー「のりべぇの2019年の生活(仮)」

ここで、ちょっとしたお話を書こうと思います。題して「2019年の生活(仮)」。ストーリーか架空ですが、出てくる商品は全て、2018年現在、実際に市販されているものばかりです。

「のりべぇさん、起きる時間ですよ」

朝6時。私はAmazon Echoのモーニングコールに起こされた。昨夜はオンラインゲームで遅くまで遊んでいた私は、もう少し寝たい気持ちを抑え、ベッドから体を起こし、洗面所へ。

sonicareで、スマホに表示時される順に歯を磨く。タニタ製の体重計に乗ると、体重から体脂肪率などが全てスマホのヘルスケアアプリに転送され、昨日から体重が300グラム増えていることに気づく。そういえば、Apple Watchから睡眠時間の不足を指摘されていたことも思い出し、少々健康に気をつけなければならないと、寝ぼけ眼のまま、うんざりさせられる。

のりべぇの朝はコーヒーで始まる。顔を洗い、歯を磨いたら、ネスレネスプレッソ製の「Prodigio」に、スマホから遠隔操作でコーヒーを抽出してもらう。その間に着替え、コーヒーを一杯。

今日は車で打ち合わせ先に行く日だ。配車アプリ「Uber」で車を呼ぶ。車が着いたことを知らされると、私はAmazon Echoに向かい、「Alexa、部屋の電気を消して」と指令を出す。次の瞬間、部屋の明かりが消えた。そして「Alexa、行ってきます」と指令を出せば、指定されたタイミングで玄関の鍵は施錠された。

では、簡単な解説を…

朝の、ほんの30分程度の話ではありますが、スマートフォン連動の機器が多いとはいえ、現実に市販されている商品でここまで生活の「電脳化」は進んできました。ここで注目したいのが、スマートフォン連動の家電製品が増えたこと。いわゆるIoT(モノのインターネット)と呼ばれる機能を有した製品がここまで浸透しているということです。しかもそれは日々増え続け、進化していることがポイントです。

ただし、実はもう一つ、大切なポイントがありまして、これらの製品を使わなくても生活は当然のように行えることです。ジリジリとベルが鳴る目覚まし時計で目を覚まし、ドラッグストアで買った歯ブラシで歯を磨き、体重計を覗きながら、覚えていた昨日の体重より増えたと感じます。湯を沸かしてハンドドリップによるコーヒーを飲み、タクシーで自宅から移動するなら、電話でタクシー会社に電話をすればいいだけ。電気のスイッチを押して明かりを消し、玄関の鍵くらい、自分で施錠できます。

では、なぜIoTがここまで浸透を続けるのでしょうか?メーカーの意図?それもあるでしょう。しかし、ちょっと見方を変えるだけで大きな「」が生じます。

怠けていると思うか、人の「手助け」や「省力化」に繋がっているいると思うか

前述のショートストーリーで出てきた商品を、どう捉えるかで考え方は大きく変わります。もしあなたが目の不自由な方だったとしましょう。Amazon Echoによって家電製品の操作が音声でできれば、玄関の施錠だって、あるいは商品の購入だって、あなたは言葉で命令するだけでそれを可能とします。あるいは、ある作業を行いながら別のことをするのも可能となるでしょう。しかし、あなたが健常者で、コーヒーくらい自分で作れるのに、なんでわざわざスマホを使って作るんだ。そんなのは単なる怠惰に過ぎないと思えば、人が怠けるための手段に過ぎないのではないかと思うでしょう。

ここが意見・考え方の分かれ目。どちらが正解であるとはいえません。あくまでも捉え方の問題です。逆に、一見するとショートストーリーのような暮らしが先進的で、そのあとの解説が前時代的だと捉えるのは簡単ですが、それも正しいとは言い難いと思います。

と書きますと、「結局のりべぇは何を言いたいんだ?まさかこのままオチのない話で終わるつもりか?」と思われる方も少なくないでしょう。大丈夫。ちゃんと結論は出ています。それは、「取捨選択」です。それも、能動的な取捨選択が大切であると考えます。

「その技術は、私(あなた)を幸せにしてくれますか?」が基準

これはあくまでも私見ですが、私の中ではこれが基準です。私が幸せになれる機器・技術であるかどうか。Amazon Echoを購入したのは、家にいるときはずっと音楽に囲まれる生活を送りたいと思ったから。現在、Amazon Echoには、たくさんの機能がアプリを使って提供されていますが、8割、いや9割は音楽再生のために使っています。たまに天気を尋ねたり、Googleカレンダーに予定を記録してもらったりしていますが、基本は音楽再生です。

もし今後、家事ロボットであるとか、恋人や配偶者の役割を担うパートナーロボットが出現したとしても、のりべぇには必要ありません。床掃除をiRobot製のルンバに任せることがあっても、あくまでもそれは補助的なもの。ちゃんと掃除機を使って部屋掃除をしたいですし、家事をロボットに任せたら、家事をする楽しみが減ってしまいます(笑)。それに、自分に対して完全に従順なパートナーは必要ありません。時に喧嘩をしたり、膝を突き合わせて話し合ったりできる相手でなければ、どんなに理想的なスタイルや性格だったり、あるいはどんな命令にも従ってくれても何にも嬉しくありません。なぜなら、そこに幸せを感じないからです。喧嘩が必要だとは申しませんが、異なる考え方、価値観を持つ、(のりべぇの場合は)異性がいるからこそ、時にぶつかり、それを乗り越えようと努力する。そういう人生の方が楽しいと、のりべぇは考えます。たとえ身体の動きが悪くなっても、補助的に身体機能を補う装置は欲しいと思いますが、一生独り者で人生を終えるとしても、パートナーをロボットに求めたいとは、残念ながら思えません。

しかし、中にはこういう方もいらっしゃいます。ラブドールという、ほぼ等身大の女性の「人形」があります。これがもし動き、喋るようになったらと考える方が。もちろんのりべぇは、そういう志向の方を否定しません。その方が幸せを感じるのであれば。もしそれが実現すれば、これもまたロボット技術、ロボティクスの進化といえますし、それにより幸せになれる方が増えるのであれば、素晴らしいことであると思います。

しかし、幸せを感じない機器・技術ではいただけません。技術の進化に対し、警鐘を促す芸術作品が多いのもそのせいでしょうか。技術の進化を担う、その端っこで暮らすのりべぇですが、もし自分が行なっている業務が「幸せを感じなくなった」瞬間、離れていくのは明白です。

それでも先端技術を学ぼうとするのはなぜか?それは人々が幸せを感じてもらえるだろうと信じているからです。実に真面目な話ですが、その判断基準を大切にしたいと思っています。

スマートフォンの出現で、人々の暮らしは急速に進化しています。そんなに?と思われたあなた。電車に乗った時、街中を歩く時。人々の様子をご覧ください。多くの方がスマートフォンを手にしています。しかし10年後、もしかしたらスマートフォンに変わる機器が生まれ、入れ替わっているかもしれません。20年前、携帯電話が巷に浸透してきた時には、ようやく歩きながら電話をするという光景を目にするようになりました。そして10年前。携帯電話が巷に溢れた頃、スマートフォンが世の中に普及し始め、10年後の現在、スマートフォンを操る人たちで溢れています。そして現在からさらに時が進んだ2028年にはどんな機器が巷に溢れ、人々が操っているでしょうか?

おっと!タイトルに対するオチがなかった!

危ない危ない。話のオチ、と言いますか、結論はお話できたのですが、タイトルに対するオチがありませんでした。公開した後で気づきました!

タイトルに出てくる「電脳美女」とは、コンピュータ好きの美女を指していません。あえていうなら、映画「ブレードランナー」に出てくるレプリカントと呼ばれる人造人間。つまり、前述のパートナーロボットにあたります。どうやらのりべぇは、電脳美女に囲まれる夢を見ても幸せにはなれなさそうですね(笑)。実際、見たことはありません。

次回もお楽しみに!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました