今日ののりべぇ 10月14日 月曜日 (旧暦9月16日)

今日ののりべぇ
これまでの投稿

台風19号で被災された皆様

心よりお見舞い申し上げますと共に、一日も早く元の生活に戻れますことを御祈念申し上げます。私が住むエリアも、実は一部地域はありますが、河川の増水に伴う冠水の被害にあっております。今回の台風は先日の15号と異なり、降雨による被害が大きく、また広範囲でございます。ブログで申し上げるだけでは誠に心苦しいことではございますが、どうか皆様におかれましては、心安らぐ日が一日も早く訪れますように、ただ願うばかりでございます。

さて、今日の本題に参りましょう

では、今日ののりべぇです。週末は書いておりませんでした(土曜日の「音楽、だいすき!」は「仕込み」です)。8月からの「怒涛の原稿ラッシュ」にそろそろ疲れがたまってきました。時々ガス抜きをしていたつもりなんですが、やっぱり突っ走り過ぎました。

こういう時はもう、一旦休止させるしかありません。連休中は原稿を書かねばならなかったのですが、思い切ってサボりました。関係者の皆様、誠に申し訳ありません…(あまり反省しているように聞こえないけど)。そのくせ、ちゃんとDuolingoは毎日してますよ(笑)。

と、前フリはこの辺にしまして、今日の本題です。

No pain, no gain.とは言うけどさ

「痛みなしには得られない」と訳すのが正解かどうかは分かりませんが、相応の結果を得るためには相応の痛みを伴うものです。昨夜、ラグビー日本代表は宿敵スコットランド代表に勝利しました。試合を観戦しているだけの私には、日本代表がこの勝利を得るためにどれだけ痛みに耐え、努力を続けたのかを共有することはできませんが(といいつつ、のりべぇは高校時代、ラグビー部に所属)、痛みに耐え、努力を続けた結果がこの勝利なわけです。つい私たちは結果にばかり注目してしまいますが、その結果を得るためには相応の努力が必要です。

そんなことを考えてふと思い出したのが、この国の教育についての議論。詰め込み教育が悪いだの、ゆとり教育が悪いだの、「悪い」ということばかりが話題になります。私は政治家でもなければ教育評論家でもありませんが、自分の失敗談を元に話せば、以前もお話した「やりぬく力(GRIT)」を身につける(子どもに身につけさせる)ことが大切かな?と思います。ラグビー日本代表は「やりぬく力」で勝利し、のりべぇは「やりぬく力」のなさから都大会予選2回戦敗退だったわけです(笑)。

実はのりべぇ、水が苦手です(爆)

別に、「自分は頑張ってる」宣言をするわけではありません。時々このブログで、「今日はプールに行きました」と書くことがありますが、実はのりべぇ、水が苦手です。いまだにクロールの息継ぎに失敗します。息苦しくなり、連続で50メートル以上泳げません。どうすればいいか、理屈では分かっていますが、理屈どおりにはいかないものです。それでもプールに行きます。水中ウォーキングもしますが、休み休みでも泳げる距離を伸ばそうとしています。なぜか?やっぱり泳げるようになりたいからです。長い距離をスイスイ泳げる人にしてみれば「どうして泳げないの?」と思われることでも、水に対するトラウマがある人には、水中にいること自体に抵抗を覚える瞬間があるのです。

ところが、今日は休み休みでも500メートル泳げた、とか、次は600メートル、あるいは連続で100メートルを目指そう、と目標を立て、それを達成した時に感じる喜びは、50のオッさんであろうが、10歳の少年であろうが同じです。多分、これが教育の場でもビジネスの場でも、あるいは私的なことでも同じなんでしょうね。途中過程では「もう嫌だ!やめたい!」と思っても、そのもう一歩先に自分を進めることができれば、喜びが見えてくるのかもしれません。ランナーズ・ハイと同じことですかね?

少しのことにも、先達(せんだつ)はあらまほしき事なり

自ら努力することは最も大切なこと。ゆえに「最大の敵は自分」ということもありますが、同様に大切なことは、よき指導者の存在。最近は悪しき指導者という方は少ないのではないでしょうか。指導法も科学的・効率的になり、スポーツだけでなく、教育・ビジネスの場でも個々の能力向上の機会や効率は向上しているような気がします。でも、のりべぇの水泳のように、我流ではやっぱり限界があります。おそらくのりべぇの水泳が上達しないのは、トラウマだけではないような気がします。前述のDuolingoは、密かに(笑)AIが受講者の習得状況を診断し、出題しているんだそうです。よき指導者、すなわちAI、というわけではありませんが、これも立派な指導者。水泳はAIで指導してもらえる領域ではないので(いや、実はあるかもしれない)、インストラクターの指導を受けるのが正解と言えます。

かの吉田兼好(兼好法師)は、自身の著書で随筆の「徒然草」第52段で同様のことを書いています。見出しがそれです。中学の時、習ったでしょ?みなさん。現代語訳をすれば、「簡単なことでも、指導者というものは必要である」という意味です。やりぬく力を得るのは、最終的には自分自身。しかしそれを導くためには指導者の力が必要、というのがもう一つの結論になろうかと思います。

なんとなくオチがありませんが、今日はこの辺で。

次回もお楽しみに!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました