今日ののりべぇ 10月23日 火曜日 (旧暦9月15日)

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「サムライ」「アナログ人間」の誤用にご注意?

以前、転職活動中の事でしたが、お仕事をご紹介していただくエージェントの方に、「のりべぇは英会話ができるか?」と質問をされたことがあります。当時は自信がありませんでしたので、「できません」と素直に答えました。反対にエージェントの方に同じ質問をしますと、「私はサムライですから」と、間接的な言葉で否定されました。

「サムライ」という言葉は時に簡便な表現として使われることがあります。主に男性の話ですが、自分に古風なところがあったり、新しいものに興味を示せないと「私はサムライなので」という言葉を使う方、いらっしゃいませんか?あるいはあなたの周囲にそんなことをおっしゃる方、いらっしゃいませんか?

はっきり申し上げます。それは間違いです。

その証拠に、日本人で初めてエジプトのピラミッドを視察に行ったのはまさにその「サムライ」です。写真も残っています。いやいや、サムライというより、政治的な視察団なんだから、それは職業上「サムライ」だっただけじゃないの?と。そういう言い訳をされる方もいらっしゃるでしょう。いえいえ。実は「サムライ」こそ、新たなことにチャレンジし、世の中の様々な物事に興味を示した、いわば先進的な人々だったと言われています。鎖国の頃であっても、実は密かに異国に憧れや興味を抱き、当時は貴重だった書物を読み、見聞を広めて行ったのもサムライです。むしろ、商人の方が古風で保守的、新しいものへの関心が薄かったともいえるでしょう。

もう一つ例を挙げますと、世の中のデジタル化が進みますと、それに付いて行きたくないと反旗を翻す人が「私はアナログ人間ですから」と、自虐的に言いつつも、自分は昔からの考えを貫いていますと言わんばかりにおっしゃる方がいらっしゃいます。

それも間違いです。

そもそも、アナログ人間、デジタル人間という言葉の示す範囲が広すぎて、時に定義が曖昧になってしまいます。まさか、アナログ人間=十進法、デジタル人間=二進法で生きているわけじゃありませんよね?

実はこの「サムライ」「アナログ人間」という自分自身の例えには、以前より疑問を感じておりました。おそらく現代社会のアンチテーゼ、あるいは自身の考えを貫いている、ということの現れなのかもしれませんが、それならば素直に「私は急速に進化する社会についていけません」、あるいは「私は古風な人間なので」といえばいいのにと、ついついそんな目で見てしまいます。

私自身、古風なところは結構あります。かといって、それを貫こうとは思っていません。むしろ、古風なところを生かしつつ、世の中の潮流に乗ることも時には必要であると考えています。

むしろ、アナログ的感覚(それも実に曖昧な表現ですが)を駆使しつつ、しかしデジタル機器を巧みに操る。日本人である以上、新渡戸稲造氏の著した「武士道」を重んじつつも、21世紀の日本人、あるいは日本のあり方を考える、新時代の「サムライ」を目指すというのがのりべぇの思想の根源だと思っています。昨日の話じゃありませんが、やっぱり「世間からはみ出している」のかなぁ?と一瞬思っていまいました(笑)。

ついつい使ってしまう言葉ってありますよね。でも、意外と誤用、あるいは拡大解釈していることって多いですよね。もちろんのりべぇも例外ではありません。しかし、その言葉を深く観察して見ますと、本来の用法であるとか、本来の意味といいますか、それらが見えてきます。時には言葉を探求することも大切にしたいと思った、のりべぇでした。

次回もお楽しみに!

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