今日ののりべぇ+のりべぇの、音楽、だいすき! 6月3日  日曜日 (旧暦4月20日)

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ヒデキ、ありがとう!そして永遠に!

音楽、だいすき!を書いている以上、この話題に触れずにはいられないと、実はずっと思っていました。しかし、のりべぇの中では、告別式が終わり、世間がこの話題から少しずつ離れ、落ち着いた頃合いで書こうと思い、温めてきてまいりました。今日は思いのたけを綴ってみたいと思います。

5月16日、西城秀樹さんがお亡くなりになりました。その一報を知ったのは、仕事中にふと目にした、ネットのニュースです。国内に衝撃が走ったことは、のりべぇがここで書くまでもありません。連日その話題でメディアも様々なニュースを配信し続けました。

さて、ここで故人を偲ぶコメントばかり書いてしまいますと、ただの悲しいブログになってしまいます。そこで、私が印象に残ったコメントを元に書き進めていこうと思います。

それは、西城さん死去のニュースの際、ある 方が残したコメントです。

男には、その人なりの『西城秀樹』がいる

キャスターの宮根誠司さんが、フジテレビ系列「Mr.サンデー」の中で語ったコメントです。この言葉に、グッときました。その通りだとしか言いようがないほど、心のど真ん中を突くようなコメントでした。

西城さんといえば、常に女性の黄色い声援が飛ぶアイドル、というイメージが強いかもしれませんが、男性ファンも多く、あまりの人気ぶりに「ヒデキなんて」と悪態をつきながらも、実は結構憧れていた男性、多かったんではないでしょうか。それほど大きな存在だったんです。特に私たちの世代以上の方なんかは…。

私が幼少期〜小学生の頃は、西城さんのアイドル時代全盛期。中学生の頃もまだ第一線で活躍されていました。ここからは、のりべぇの中の「西城秀樹」についてお話ししようと思います。

以前、音楽、だいすき!でもお話ししましたが、幼少期ののりべぇは、年上のいとこのおかげで、歌謡曲(当時は流行歌なんて言われたこともありますが、今でいうJ-POPですね)を耳にするのが早く、幼稚園から帰ってくるときまって見ていた番組が、「ぎんざNOW!」(TBS)でした。あれは関西地区で放送されていた「ヤングおー!おー! 」(毎日放送)に影響を受けて企画された番組だそうですが、のりべぇは、あの番組を見て「育ちました」。

歌番組も好きで、毎日のように放送される番組をよく見ていました。反対に、ヒーロー漫画やアニメーションは比較的見なかったせいで、幼稚園、小学校(低学年)の頃は、同性の友達と話が合わないこともしばしばありました(笑)。

そして小学3年生の時。担任のK先生(新任の女性の方でした)が熱狂的なヒデキファン。4年生の時は「ホップ・ステップ・ジャンプ」(1979年5月リリース)を、クラス全員で演じました。難しいようで、意外と子どもでもマスターできる振り付けだったのを覚えています。

これでのりべぇの「変な才能」が開花します。当時のりべぇは、地元のボーイスカウト団に入っていました(現在は団委員という裏方さんをやっていますが、仕事の関係で年に1回程度しか顔を出さない、ゴースト委員です)。当時はカブスカウトだったんですが、夏のキャンプの最後の夜は、大営火という、キャンプファイヤーをします。そこでは各組で「歌とスタンツ」を披露します。スタンツ、というのはもともと寸劇を指します。ところが当時所属していたボーイスカウト団では歌は歌うだけ、スタンツは、替え歌を歌いながら踊るという、どっちもほとんど一緒じゃん、という構成でした。というか、寸劇をキャンプファイヤーで行うのは意外と難しいんです。声が通らない、暗くて演技が見えないなどが理由なんですが、そうしますと、歌と踊りが一番わかりやすいんですね。

従来は、「ボーイスカウト歌集」なる本から歌を選び、替え歌を作ります。少し勘のいい子がいると、アニメやヒーロー漫画の主題歌を使って替え歌を作ります。しかしのりべぇは何を思ったのか、当時ヒットしていた歌謡曲を元に、替え歌を数曲(確か7曲くらい)作って持って行ったのです。これが大ウケ!生まれて初めて(でもないですけど)、ウケた瞬間でした。そしてこの時、あの「ホップ・ステップ・ジャンプ」が大いに生かされることとなります。K先生、40年近く過ぎちゃいましたが、感謝してます!(笑)

替え歌はのりべぇが作ったものを、踊りはK先生仕込みの振り付けをそのまま活かし、演じましたよ、大営火で!ウケましたよ。それもばかうけ!(おせんべいみたい)

後に老人福祉施設(今でいうデイケア施設)でもステージの上でやりましたよ!お年寄り、びっくり!「あ〜?」って感じで口、あんぐり(爆)。

それより何より、こののりべぇが、不細工で背の低いのりべぇが、赤ちゃんの頃からほとんど顔が変わっていないと笑われるのりべぇが、まさかのセンターポジション!のりべぇの黒歴史、ここに始まる(爆)!理由は簡単。振りをみんなに教えたのはのりべぇで、一番うまい(というか慣れている)から!実にシンプルな理由

でもですよ。私の中の「西城秀樹」というと、この1979年の出来事が一番印象に残っていて、しかも、今にして思えば、後ののりべぇの人生に、大きな影響を与えるきっかけとなったんです。

それまで引っ込み思案だったのりべぇが、人前で歌う(しゃべる)快感を覚えた。おかげで社会人になり、塾講師の仕事(ただし生徒からの評価は、授業というより、某テーマパークの「ジャングルクルーズ」のようだと言われたけど)や、プレゼンテーションであがらずに喋ることができる(ただし上司からの評価は、「テレビショッピング」のようだと言われたけど)ようになった

替え歌作りを通じ、クリエイターの「きっかけ」が生まれた。といっても、現在は広告系ライターであり、クリエイトするというほどのものでもないけど…。でも、一応は現職・クリエイターといってもいいでしょう。

これが私の中の「西城秀樹」なんだと思っています。少なからず、のりべぇの人生に、影響を与えてくれたアイドルなんだと、こうして語り尽くしてみれば、納得。

長い文章になってしまいましたが、西城秀樹さん、心から「ありがとうございました」と言わせてください。あなたは私の中の永遠のアイドルです。これから先も。

お粗末様でした。次回もお楽しみに!

(一部敬称略)

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