今日ののりべぇ 6月29日月曜日(旧暦5月9日)

今日ののりべぇ
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アボカド。嗚呼、アボカド。

 通称『森のバター」こと、アボカド、美味しいですよね〜。薄くスライスして、わさび醤油で食べたり、サラダに入れて「コブサラダ」。サンドイッチにアボカドペーストを挟んだり…。調理するときに真ん中の種を取る時、包丁の根っこの角で突っついてから取る時のあの「スポン!」と抜ける瞬間の気持ちよさ!あれもいいですよね〜。
 でも、時々スライスする時にまな板から脱走するヤツが居るんですよ。皮を剥くとヌルヌルしますからね。でも、きれいにスライスしたらわさび醤油にin! もう、たまりません!
 おっと。本題とは全然関係ない話で失礼しました。

今日の本題です。

自分、不器用ですから…(のりべぇとお魚さんのお話)。

 この期に及んで、「親がきちんと躾けてくれなかったから」などという言い訳は申しません。ですが、のりべぇ、30歳を過ぎても魚の食べ方が汚かったんです。身が残っているのに、ちゃんと食べられない。お粗末なオッサンでした。ある時、定食屋で当時の会社の上司に「のりべぇさん、魚の食べ方、よくないですね」と、やんわり叱られるまで、仕方がないと思っておりました。
 20代の頃であれば「しょうがないじゃん。そういう風に育っちゃったんだから」と開き直っていたのですが、何故かその時は一念発起、「魚をきれいに食べるようになってやる!」と思い始めました。

お魚さんをキレイに食べよう!Phase 1. 「残さず全部食べる」

 とはいえ、いきなりキレイに食べられるものではありません。魚って。鮭の切り身であろうが、アジの開きであろうが、苦手な人には意外とハードルが高いんです。
 そこでのりべぇは考えました。「魚を最もきれいに食べる方法!」そう。残さず全部食べちゃおうと思い、本当に実践しました(笑)。ウソではありません。切り身なら、骨も皮も全部。開きだって、頭から尻尾まで、全部食べました。硬い?尖ってる?そんなことは一切気にしませんでした。
 結果、お皿の上には魚の痕跡が一切残らなくなりました(笑)。一度だけ、飲食店で笑われました。「あんたは猫か」と。にゃ~お!
 環境にはとっても優しいのですが、かえってお行儀が悪いようなので、さすがに止めました。しかし、鮭やブリの切り身は今でも皮も含めて食べます。とっても栄養価が高いそうですが、それだけでなく、焼きたての鮭の皮は「ごちそう」です。あの香ばしく、パリパリとした食感がたまりません。冷めていたらお茶漬けに入れるのも美味しいですよ〜。アジの開きなら、小骨も食べちゃいます。慣れると癖になります。

お魚さんをキレイに食べよう!Phase 2. 「科学部時代を思い出せ!」

 中学時代、のりべぇは科学部でした、というお話は以前にしたかと思います(その後、高校時代はラグビー部という、ユニークなクラブ活動遍歴を持っています)。
 その時は「化学班」でしたから、生き物の解剖ではなく、なぜか地元の湖沼の水質調査を2年ほど行ってまいりました。ですが、一通りの理科実験は経験があります。
 そんなのりべぇ。理科の時間ともなれば、一瞬だけヒーローになれるときがあります。それは「生き物の解剖」。女の子はやりたがりません。男の子でも、体育系の連中はあまりやりたがりません。「生き物がかわいそう」だって!いつもボールをベチベチ人にぶつけといて、こういうときだけええ格好しやがって!という話は置いといて、そういう嫌がる人たちを座らせて、魚だの両生類(ケロケロ鳴くアレ)だのを解剖しました。「嫌な仕事」を引き受けた上に、取り出した「道具」類をきちんと見やすく「ディスプレイ」するので、その時間だけはヒーロー扱いされます(しかしなぜか翌日からはサイコ(psycho)扱いに)。
 ある時、「魚の丸呑み状態」を脱する手段として思い出したのが、解剖の要領で食べれば、キレイに身を食べ、骨(と頭など)だけきれいに残せる、いうこと。そこで、過去の経験に倣い、その要領で食べ始めました。
 結果、これが結構うまくいったんですよ!みなさん!ウソみたいでしょ?本当です。きれいに食べられるようになったんですよ!お魚さんを!
 ところが、ここで新たな問題が発生しました。箸はメスじゃない!ということ。つまり、つい骨から身を剥がす際、手を使ってしまうんです。これは食べ方として美しくない。今でもうっかりすることがあるのですが、良い子は決して真似しないように!

お魚さんをキレイに食べよう!Phase 3. 「日々精進あるのみ!」

 とりあえず、身があちこちに残るような食べ方から卒業し、しかも丸呑みという曲芸からも卒業したのりべぇ。一応きれいに食べられるようにはなりましたが、日本のお作法からすれば、まだまだ落第点。となれば残るフェーズはただひとつ。日々、精進あるのみ。
 魚がメニューの時は、毎回覚悟して臨みます。大げさに言ってません。お魚さん、キレイに食べるからね。とまでは言いませんが、今日もキレイに食べるぞ!という決意で箸を入れます。骨から身がほぐれない場合は手を使いますが、目をつぶってください。これも可食部はすべてお腹に収めるための「非常手段」。ですが、できる限りお作法に則って食べ進めます。そしてきれいに食べられたら改めて、「いただきました」。

不器用も無作法も、気付いた時が改善の第一歩!

 いい年をした大人なのに、マナーが悪いだの、無作法だのというのは決して誇れるものではありません。自分は育ちが悪いから、というのはただの言い訳。貧しい家庭に育とうが、良きマナーを心得て、良き作法の方はたくさんいらっしゃいます。不器用なことだって、決して悪いこととは言い切れません。
 しかし、それらに気づき、「これじゃいけない。変えよう!」と思った時が改善の第一歩だと思います。
 不器用でも、慣れが肝心。慣れれば少しずつ器用になるものです(のりべぇが一例)。マナーや作法だって、慣れれば相手が不快に思わない振る舞いが自然とできるものです。なにも、名人になれだの、作法教室の師範になれ、という話ではないのですから、程よく改善。すると、「あの人、ステキ!」って思われるかもしれませんよ。
 のりべぇとお魚さんの話の、最終的な結果は、「魚を食べるのが楽しくなった!」です。相変わらず不器用で、お作法の中のご法度がありますが、貴重な水産資源、魚という命を美味しくいただくことができ、私の生活の中の楽しみがまた一つ増えました!というお話でした。

次回もお楽しみに!

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