今日ののりべぇ 11月4日 日曜日 (旧暦9月27日)

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週末は大阪へ…(のりべぇの念願、叶う!)その1

昨日はブログを「お休み」しました。予告通り、本日はちゃーんと書きますよー(笑)。よく黙ってサボるくせに(爆)。

昨日・今日の2日間、大阪に行って参りました。かつて仕事で行ったことはあるのですが、観光では初めての大阪でした。今日は文字だけになりますが、簡単にご報告を。

昨日は「とある仮想空間」でお会いした方々と初対面の1日でした。楽しいお話、本日まで「あべのハルカス」で開催されていました「太陽の塔展」をご一緒させて頂き、ランチ、そして通天閣の周りを歩きつつ、喫茶店で「のりべぇトーク」という時間を過ごしました。

本日はかねてより念願だった「太陽の塔」の内部を見学しました。今年から一般公開されているのは知っていたのですが、なかなか予約が取れず、今回実現した次第です。

昨日の写真は個人情報の関係でありませんが、本日の写真は「のりべぇ抜き」で撮っております。多少点数がありますので、明日、ご紹介させて頂きます。お楽しみに!

さて、ここからはその「太陽の塔」、そして1970年に開催されました「日本万国博覧会」通称「大阪万博」についてお話を。以前は熱く語りましたが、今日のブログでは、改めて万博記念公園に参りましたので、先に小難しい話を書こうと思います。

1970年に開催された「日本万国博覧会」は、開催期間中、約6421万人が訪れました。ほぼ日本人の2人に1人が見た計算になります(うち約170万人は外国人)。しかも調べてみますと、初めて黒字になった博覧会だそうです。

当時のテーマは「人類の進歩と調和」。そのテーマにふさわしく、各展示館(パビリオン)は、人類の進歩ともいうべき最先端のテクノロジーを披露、あるいは民族性を重視した展示を披露していました。さもすると、ただのお祭りになってしまう博覧会に、平和のメッセージを込めたというところにテーマの重要性を感じるものとなりました。

現在は、今年から予約制による一般公開が始まりました「太陽の塔」と、以前の「鉄鋼館」を改装し、資料館として「EXPO’70パビリオン」が公開されています。

以前、散々この「大阪万博」への熱い想いは書き綴りましたので、今日は、見たばかりの「大阪万博」のレガシーを拝見しながら感じた、2025年の話を書こうと思います。もし批判的な内容に感じられたらごめんなさい。もちろん、そんな意図は全くありません。

なぜ2025年なのかと言いますと、現在、2025日本万国博覧会誘致委員会事務局が主体となり、11月23日の開催地決定に向けて誘致活動を行なっているからです。つまり、大阪で2025年に再び万国博覧会が開催されるかもしれない(少なくても現在は)ということなんです。実現しましたら、55年ぶりの万博(これには語弊がありますが、便宜上、55年ぶりと表現します)となります。

ところが、「1970年の万博」を今回、1970年生まれののりべぇが見まして、感じたことを率直に申し上げますと、「あまりにも壮大な博覧会だった」1970年を超える、あるいは同じくらい壮大な博覧会が、2025年に可能なのかということなんです。誘致活動を積極的に推進している方々には大変心苦しい表現ではありますが、これはのりべぇが決して、誘致に対して消極的だというわけではありません。むしろ、大阪での開催を心から待ち望んでいる一人、と言わせて頂きます。

これは規模であるとか、最先端技術の展示・披露が可能かどうかということではありません。「1970年の万博」で掲げたテーマことを指しています。

「1970年の万博」は、規模もさることながら、当時展示・披露された技術が今に息づいていることは、以前熱く語りすぎましたので、今回は控えます。ですが、時代が変わり、身近に先端技術に触れる機会が増えた21世紀。当時のように、人々の、特に子どもたちの目を見張るほどの技術を展示できるかは少々微妙なところです。ICT技術の進歩は、それだけ身近に先端技術を体感できる機会を増やしてくれました。

それ以上に、「人類の進歩と調和」という壮大かつわかりやすいテーマを、2025年にはどんなテーマを提示できるか。全てはここにかかっています。当時、SF小説家の小松左京氏、芸術家の岡本太郎氏をはじめ、多くの文化人、芸術家が英知を絞って博覧会の骨子を築き上げました。さて、2025年の万博ではどうでしょうか?これも時代の変化にどう対応できるかがカギとなりそうです。

乱暴な言い方になりますが、「ぶっ飛んだ人」が最近は少ないような気がします。芸術・文化の商業化というようなことを申し上げる気は無いのですが、すごくスマートで洗練されているのが現代日本の芸術・文化。岡本太郎氏のように、「芸術は、爆発だ!」というビデオテープのTVCMのような、「ぶっ飛んだ人」って少ないか、見当たらないですよね?でも、それは「偉大な人」がいるとかいないとかということとは違います。これが時代の変化であり、それで現代の日本社会が成り立っている以上、むしろ、否定してはいけません。

人類、というより人類が築き上げた技術は1970年の万博以降、確かに進歩しました。当時、太陽の塔の地下(実際には塔の真下ではありません)の展示物の中に、発見されたばかりのDNA、二重らせん構造の分子模型が展示されていました。その他の分子も模型化され、展示されていたんですが、発見されたばかりのDNAが展示されていた1970年に対し、2018年現在、ジーンライフに代表されるように、DNAを比較的安価で解析してくれるサービスが登場しています。おそらく当時の人たちには考えもつかないサービスでしょう。

一方で、調和はいかがでしょう?私は政治家や平和運動家ではありませんし、政治家など目指しておりませんので、多くは語りませんが、これだけは事実です。1970年時点でもそうでしたが、2018年までの間に世界中で紛争が絶えた日は1日もありません。調和イコール平和と結びつけるかどうかはさておき、進歩しているようで進歩しているの?と思うこともしばしばです。

となると、1970年の大阪万博という、大きなレガシー(遺産)をもつ私たち日本人は、次の大阪万博(今は仮)で、どんなテーマを掲げられるの?と思ってしまいます。それは「掲げられないんじゃないの?」という意味ではなく、「開催できるとなれば、やっぱり1970年を超えるテーマを掲げてほしい!」と願うわけです。

すっごくお堅い話になりましたが、11月23日。大阪に開催が決定することを強く願う一方、果たしてどんなテーマとなるのか。そしてどんな最先端技術が展示されるかを心待ちにしています。

明日は実際に行って拝見しました、大阪万博のレガシーへの感想をまとめさせていただきます。蛇足ですが、太陽の塔の内部は撮影禁止なので、写真はありません。悪しからず。

次回もお楽しみに!

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