終わってみれば、あっけなく…。
昨日の予告通り、修了しました!Duolingoのフランス語講座(日本語話者用)
まずはこちらを。
レベルアップ問題こそ残ってますが、一通り学習しました!Duolingoのフランス語講座・日本語話者用。おそらく今後、カリキュラムが増えるでしょうから、再び戻ってこなければなりません。もちろん、レベルアップ問題は未着手ですから、他の言語を学習中にちょこちょことこなしていければと思っております。フランス語については、英語話者用の膨大なレベルを有する講座が待っておりますので、日本語話者用のカリキュラムで復習しないと、わからなくなりそうなのです…。
とはいえ、早朝から始めて、朝のうちに終わりましたが、終わった瞬間はあっけなく、まあ、こんなものね、と言う感じでした(笑)。まあ、語学の道にゴールなし、ですからね…。
それでも見えてきた、生涯学習の可能性。
「なーにオッサンがイキって勉強なんかしてんだよ!」と、若い世代の人に言われるかもしれません。「ちゃんと若い頃に勉強しておけば、オッサンになって勉強する必要なんかなかったのに」と、同世代、あるいは上の世代の方から言われるかもしれませんね。
私、のりべぇが学習する理由は3つ。1つは好奇心。2つは学歴コンプレックス。3つはバカと呼ばせない!という、無意味なプライド。まあ、あとの2つは冗談半分。最初の1つが本音です。よく言えば、好奇心の旺盛さは子供の頃とほぼ変わっていません。悪く言えば、ケロッと騙されるほど、自分でも呆れるほどピュアなことです。だから、楽しいことがあると、子どものようにはしゃぎます。そして、子ども並みに素直ですから、うっかり嘘を鵜呑みにしがちです(笑)。だから、時々大人目線で、情報のフィルタリングを行う必要があります。
そんな話はともかく、一つのことをゴールまで成し遂げることができますと、自ずと自信が出てきます。数年前にベストセラーとなった本に「やり抜く力」があります。GRITという言葉がちょっとだけ流行しましたよね。私もこの本を読みましたが、多少、感化されているかもしれません。その結果が今日のゴールにつながっているわけですし…。
ただ、これによる大きな効果というのは、生涯学習の可能性を自ら体感し、有効であることを自分に対して示せたということだと思っています。
それでも、問題がないわけじゃありませんよ。
生涯学習、というと聞こえがいいのですが、結局は主に10代・20代前半に勉強しなかったことの反動じゃないの?という批判があるだろうことです(あるとは申しておりません)。
先日も、育児休暇中の「リスキリング」という首相発言が話題となり、問題ともなりましたが、話の趣旨そのものは問題ないんです。やる人はやる、やらない人はやらない。それだけの話ですから。ですが、「やりたいけどやれるわけないだろ!」という意見が蔑ろにされそうだったから批判に晒された、ということなんでしょうね。実は世間一般の考え方は、「悠長に勉強なんかしてられるかよ!」という意見が実はメジャーで、「生涯に渡り学習し続けること」がマイナーだということなのかなと。こうして意見が割れてしまいますと、もはや理解されることは難しいかもしれませんね。
少数派だからこそ…。
あるいはこう考えることもできるでしょう。「少数派だからこそ、継続的に学習することの楽しさ、可能性を、体感を交えて発信すること」が大切であると。
なにも、学習というのは語学に限られたことではありません。IT技術の習得は今でも十分間に合います。日進月歩ではありますが、最先端でない限り、習得の「近道」があります。あるいは、趣味の世界を追求したっていいわけです。車が趣味の方であれば、定年後を境に、自動車整備士としてセカンドライフを楽しむ、なんてかっこいいじゃないですか。今ではちょっと前(30年から50年くらい前)の車、ネオクラシックカーブームです。あるいは、レコード収集を経て音楽評論家になる、ということだってあり得ます。以前もお話しした通り、アメリカやイギリスでは、ついにCD販売をレコード販売が上回りました。もちろんCD販売低迷の背景には、音楽配信サービスによる視聴媒体の変化が挙げられるのですが、それでもレコード生産額が年々増えているという現象は、前述のネオクラシックカーブームに類似しているかと思います。これらは過去築いてきた記憶や経験が活かせる趣味・学習領域かと思います。
これらはほんの一例ですが、どれも言えることは、決してメジャーではないということです。つまり、マイナー。少数派です。ですが、少数派だからこそ楽しめること、可能性の高さを引き出すことができ、それが人生の楽しみにつながるのではないかと考えます。
学習云々なんか忘れていいから、一つだけわかってほしいこと。
それは、「時代が変わった」と、全身で感じてほしいということです。ただし、変わったということを、「それじゃ、俺(私)の時代も終わりだ」と嘆かないでください。今回の時代の変化は、進化という概念ではなく、むしろ、枠組みやしがらみが取り払われるほどの変化、といっても言い過ぎではないものです。ただ、それを許容できなければ、あなたの時代は終わりを迎えてしまうかもしれません。もちろん、命を落とすような深刻なことではありませんので、ご心配なく。むしろ「俺(私)は自由だ!」と、全身を目一杯伸ばして喜べる時代になったと感じられるのではないでしょうか。どんな場面で体感してもらえるかはわかりませんが、ぜひ、時代の変化を感じ取ってみてください。多分、終わりだ、なんて寂しい気持ちにはならないと思いますよ。「これは終わりではなく、始まりなんだ」と。
今後も「発展途上オヤジ」、のりべぇのチャレンジは続きます。ぜひこのブログや他のメディアを通じて発信してまいりますので、生暖かく見守っていただければ幸いです。明日もお楽しみに!
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