今日ののりべぇ 10月2日 火曜日 (旧暦8月23日)

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本日は、大阪万博への熱い想いを語らせていただきます。

私が大阪万博(正しくは日本万国博覧会)を初めて知ったのは、恥ずかしながら記憶にないんです。恐らくは、1981年に開かれたポートピア’81(正しくは神戸ポートアイランド博覧会)に家族で行くことになった際、テレビ番組で日本の博覧会の歴史について触れたものではないかと思います。ニュース番組だったかもしれません。

その後、1985年には、私が住む場所から程近い、茨城県筑波郡谷田部町(現:茨城県つくば市)で開かれた科学万博(正しくは国際科学技術博覧会)が開かれ、10代の時に2つの博覧会を見学する機会を得ました。

ところが、これらの博覧会を観に行った後のこと。父方の祖父母は大阪万博に当時出かけたことがあったそうで、それはそれは大規模な博覧会だという話を聞かされ、一度観てみたかったと思うようになったのは、恐らく20代前半の頃だったかと思います。

ただ、その間にも国際花と緑の博覧会(1990年)や、愛知万博の愛称で知られる2005年日本国際博覧会などもありましたが、実は行っていません。既にその頃には、大阪万博以外、興味が薄れていたのです。同じく、大阪万博のことも記憶のかなたへ…。

そして2005年のこと。実は六本木にあった「青山ブックセンター」で、「EXPO’70 驚愕! 大阪万国博覧会のすべて」という大型本を目にしました。これは!と思ったものの、当時は薄給だったのりべぇ。購入を断念してしまいました。

ところが、その時です。大阪万博のスケールの大きさ、そして当時披露された科学技術が、今に息づいているということを知り、改めて大阪万博への興味がわいてまいりました。と言っても、寝ても覚めても大阪万博、というわけではありませんが(笑)。

例えば、当時会場内を走行していた電気自動車は、のちの沖縄海洋博(正しくは沖縄国際海洋博覧会。1975年)でも同様に会場内を走るようになりました。他にもモノレールや動く歩道、ロープウェイもあったそうです。モノレールは既に東京モノレールで営業中でしたが、大阪万博のそれは、自動列車運転装置(ATO)を採用したそうです。動く歩道は空港やペデストリアンデッキなどで見かけますよね。

こんな展示もありました。虹色に光る「映像の出るLPレコード」は、1980年に「レーザーディスク」としてパイオニアから発売されました。その技術は、DVD(デジタル多目的ディスク)やブルーレイディスクへ受け継がれています。また、サンヨーは「人間洗濯機」なる奇抜な展示をしましたが、現在、身体の不自由なお年寄りのための移動入浴カーは、これがヒントになったという説もあります。さらに、電電公社(現:NTT)は無線電話を展示。実際に通話が出来たそうですが、早い話が携帯電話の元のようなもの。当時披露されたものは、姿かたちこそ異なりますが、現在に通じる科学技術を見ることのできた、まさに夢のような博覧会だったんです。

しかし、そんな大阪万博が、実はただのお祭ではないことを知ったのは、この番組です。

今から約2年前。私はNHK BSで「BS1スペシャル メガプロジェクト 開拓者たちの決断「太陽の塔のメッセージ」」という番組を見る機会がありました。小説家の小松左京や芸術家の岡本太郎といった、日本を代表する文化人が繰り広げる、「大阪万博」への想いと葛藤、そして衝突。実は、そのシンボルでもある太陽の塔には、それらの想いが凝縮されています。

「太陽の塔」は、長らく万博記念公園で公開されることもなく、ゆっくりと朽ちるかのように佇んでいました。ある番組で、その内部を撮影したものがありましたが、ほこりにまみれ、展示物が折れ、落下したりと、屋内でありながら劣化が進行していました。

しかし、2018年。ついに一般公開を迎えた時、恥ずかしながらのりべぇは「やった!ついに太陽の塔を見学できる!」と、仕事場でうちのボスに興奮してしゃべっていました(もちろん、ボスの反応は、「お前、バカか?」というものでしたが)。まあ、道を歩いている女性から、パソコンソフト、ひいては近所のワンちゃんと、何にでも感動するのりべぇなので、ボスも、「またか」位にしか思っていなかったかもしれません。ですが、のりべぇにとって「太陽の塔」は、心から行きたいと思っていた大阪万博の、しかもシンボルというだけでなく、タイムスリップが出来たら絶対に行きたい場所という、人生で特別の「聖地」なんです。

恐らく、それは1970年生まれという、のりべぇの生まれ年との関係もあるのかもしれませんし、2年前に放映した番組を観て、ただのお祭り、あるいは「未来礼賛・科学礼賛」だけではない、男たちの強い想いを知ったことでさらに増幅したのかもしれません。

今回、ひょんなことから見学が実現しました。この経験はのりべぇの今後の人生にとって、大きな道しるべとなり、これまで生きてきた人生を振り返る機会になると、勝手ながら思っております。

実は、49歳を目の前にし、もっと言えば、2020年に50歳を迎えるにあたり、人生の振り返りと、これからの展望に想いをめぐらせています。結婚?いいえ。それもありますが、所詮のりべぇは仕事人間。それも、デジタル機器が身体の一部ともいえるほど、常にデジタル機器に触れる生活を送っています。そしてこれからもそういう人生を歩みたいと思っています。

しかし、これらの機器は、その起源はもっと前からあったものの、高度経済成長が一息ついた1970年を境に、急速に進化していきます。その只中に人生を送ってきた私。これからもデジタル機器を使っての仕事生活を送るにあたり、一度振り返る機会になるのかな?と思っているのが、今回の「太陽の塔」見学なんです。中身をご存知のない方も多いかと思いますので、あえて「中の話」は控えさせていただきますが、芸術家岡本太郎氏は、この太陽の塔に多くの想いを込めたといいます。壮大なスケールの中に、ちっぽけな人間の存在。未来は決して明るいものではないかも知れない。しかし、明るいものにするためにはどうしたらいいか。のりべぇに限っていえば、人生100年時代の折り返し地点を、どんな気持ちで望むのか。30分という限られた時間ではあるようですが、そんな時間でありたいと思います。

今日は、本当に語りすぎました。たぶん、最近の自分が子どものように大きな熱量で取り組んでいることがあるからかもしれませんが、このエネルギーを絶やすことなく、多くの方に感動していただけるような人生にしたいと思っています。

次回もお楽しみに!

(一部敬称略)

コメント

  1. しあわせさん より:

    のりべぇさんの大阪万博への熱い想いがよくわかりましたよ。私は大阪万博や太陽の塔には全然興味がなかったんですがのりべぇさんのブログを読んで興味が湧いてきましたまた機会が合えば、生ののりべぇさんの熱い想いを聞かせていただきたいです。

    • Norris より:

      しあわせさん、コメントありがとうございます!今、私たちが何気なく使っているテクノロジー。もちろんその全てがこの1970年開催の大阪万博に起源があるわけではありませんが、時代の転換点であったことはほぼ間違いないようです。ぜひ現地でのリポート、ご期待ください!(多分写真撮影はNGだと思いますけど)

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