自分を褒めるべきか、喜んでいる自分を恥じるべきか。
決して自慢できることじゃないんだけどね…。
これはどちらかと言うと、同じアプリを使っている人々への「自慢」くらいにしかならない話です。
いまだに私、語学学習サイト「duolingo」を愛用しております。有料サービスへの誘導を促進する「改悪」が進んだとはいえ、「学習のミスは学習で挽回できる」という、ある種の苦行システムにより、まだ無料で学習を続けることができています。具体的に申しますと、ライフは1日に5つ付与され、ミス1回ごとにライフが減ります。ライフが全部なくなった時点で、ジェムと呼ばれるポイントを消費するか、ライフを回復させるために「学習」するかを選択します。「学習」をクリアしますと、クリアごとにライフが1つずつもらえるというものです。今までならば、ライフなるものを気にせず学習できたのですが、今ではカリキュラムを進める以外にも気を遣いながら学習する必要のある、少々厄介な学習サイトとなってしまいました。
それはさておき、また今年も、年間の学習成果のようなものが公表されました。それがこれ。
私が10代なら、大いに自慢できると思いますよ。20代なら、学習意欲を持続していると評価されるでしょう。でも、50代のオッサンともなりますと、「あんた、暇人?」とか「若い頃に勉強してなかったのかよ?」とツッコまれることでしょう。まあ、せいぜい自己満足の世界。これをご覧の若い方。勉強は早いうちにした方がいいらしいですよ、きっと。
その一方で「俺のようなバカでも、リカバーはできる!」と。
ゴルフに例えるなら私は、ティーショットをガンガン飛ばすパワーヒッターではありません。ボテボテの1打目はラフに入り、2打目はバンカー。グリーンに乗せる頃にはすでにダブルボギー、なんて感じでしょうね。その代わり、ホールを重ねるごとに身につけてきたのが「リカバリーショット」。人生の躓きは誰にもあること。肝心なのはリカバリー、と学習したのは、不動産広告系ライター時代のこと。なにせ、遅咲きのクリエイターでしたから、他のライターさんと勝負しても勝てません。言い換えれば、お仕事をいただくには、足手纏いにならず、きちんと最低限のお仕事をこなすテクニックを覚えた上で、クライアントとのコミュニケーションを大切にすること。実は最後の部分が大事なんです。ここで肝心なのが、原稿修正はあって当然、と割り切り、クライアントからの指摘を迅速に修正し、再提出するという、リカバリーショットを迅速かつ的確に打てるか否か。今でも私を助けてくれるのがこのリカバリーショットを打てるという点です。
前述のお話に当てはめますと、若い頃にしっかりと勉強してこなかった。これは事実です。私はいわゆる非エリート層ですし、その改善もろくに行ってこなかった一人です。ですが、今更勉強なんて、と思わず、所詮はリカバリーショットではあるのですが、改めて学習を始める、あるいは続ける。たとえ若い頃より物覚えが悪くとも、少しは英語が話せる、理解できるようになりましたので、成果はあったと思います。まあ、5年(本当は日本語話者向け英語学習は4年くらい)かかりましたけどね(笑)。
80まで現役。死ぬ前日まで学習。これが私の生きる道なり。
「80まで現役」って書くと、なんか「怪しいお薬」(法的な方じゃなくて、アッチ系のね)の宣伝みたいですが、そう言う意味じゃなくて、80歳まで何らかの仕事に携わっていたい、という意味です。まあ、ライター業であればできそうですからね。
そんでもって、死ぬ前日というと語弊がありますが、意識がなくなる前日まで学び続けたいと思っています。よく「我が人生に悔いなし」と最後に思いたい、という人もいるでしょう。でも私はあえて「ああ、もう死ぬのかぁ。もう少し人生長くやってたかったなぁ…」と思いつつ、それでも満足した人生を全うしたいと思っています。未完成でもいいから、歩みを止めたくない。ただそれだけです。なんだか「ゆる系オヤジの」のりべぇらしくないコメントでした。
次回もお楽しみに!
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